体の声と欲求の声の区別
ここ最近、前から痛めていた左肩の調子がすこぶる悪く湿布を貼ったりしてだましだまし練習していたのですが痛みが少しづつ移動するというか・・・
「今日は真ん中痛いから湿布貼ったら真ん中平気になったけど少し横に痛みが移動したなぁ」というような感じ。
結局、痛いところを反射的に体がカバーしてやっているだけで痛みをなくすための体の使い方をするという課題においては何も解決していなかったということ。
今まで何回も同じようなこと感じてきてたのに、また同じことやっちゃった。と大いに反省しているわけです。
体の声を聞いているようで無視している事、結構あるあるです。
ヨガに限らず、食事とかね。
食べない方がいいとわかっているけど食べちゃう、とか。
単発的な体の声を無視したところで簡単に体を壊すとかはないけど、継続的に無視する事でガタが出てくるもの。
厄介なのがこの継続的な無視がだんだんと自覚がなくなってくるのが怖いところで、健康的な体と精神が少しづつ蝕まれるのですね。
現代人の多くは、健康と思っている事柄に対して疑問を持つきっかけも機会もないから仕方ないといえば仕方ないのですが、そこに甘んじる事なく私は可能なかぎり病気にならない体と健康的な精神を維持する行動をしたいと思うし提唱したいと思うのです。たいそれたことを言うつもりはないけど、健全な人が少なすぎる!!と思うから。
例えるならば、病気の早期発見をいかにするか。いかにして自然治癒するか。というのでしょうか。
いつもの考え方や当たり前にやっていることに少しのエッセンスを加えたり考え方の断捨離をして新しいスペースを作ると体も心をハッピーになる!そう思います。
去年からのコロナに何を学ぶか、どう受け止めて、どう判断するか。
せっかく生まれた今世を楽しもうではありませんかーーー!!