学びは咀嚼し味わうこと
前回の大阪修行レポの続きです。
今まで何をやってきたんだと改めて落ち込んだということを書きましたwww
そもそも、きちんと立ててない・歩けてない。
人間は3歳から体や性格に癖がつき始めるそうです。
そんな小さな頃から癖がついているものを何十年も経ってから直すなんて本当に本当に大変なことです。
もう人生やり直しと言われるも同然な感じで嫌になってしまいます。
私自身、今まで何一つまともに体を扱えていなかったと落ち込んでしまいましたが、
今世で気付けただけよかったと思うことにしましたwww
(ある意味気づかない方が幸せだったかもしれないが・・・www)
今までもヨグを通じて体の使い方で、その人の人となりを感じたりすることは多くありましたが、体の使い方を学ぶと、また違った角度からの分析が出来るようです。
まだまだ私は学びの素人なので分析力はありませんがwww
体の癖という形で内面が見える化しているなんて面白いですよね。
とにもかくも体の使い方を1からやり直すことにしたわけであります。
とはいえ、どこか一つくらいちゃんと使えているところはあるはず!と淡い期待を持って、親しくしてもらっている師匠に話しましたら、
「一つ使えているところがあったら全部ハマってるからwww」と。
確かに・・・
「だよね」
と会話終了でしたwww
学びはアウトプットすることが大事といいますよね。
自分でも本当にそう思うし、学んだことは早くアウトプットしたいなといつも思います。
私にとって学び方というのは、食事に似ていると思います。
食事のペースや量って人それぞれですね。
早くていっぱい食べれる人は学び方も早いし情報量も入るけど出す量(いらないもの)も多い。とか
食べるの遅いし少食な人は、学びも少しずつじゃないと頭(お腹)に入らないとか。
こういう特性は他人がコントロールできない事です。
本人にしかわからないし、本人にしか意識できないし、なんなら本人ですらコントロールしづらいです。
だからこそ、いつも思うのは学びに対して他人は介入できないし、介入する領域ではないということ。
会社の研修で、グループディスカッションでアウトプットの練習などといった時間が設けられたりすることもあります。
私としてはこの時間は例えていうならば、他人が食事をしている最中に食べるペースを早くしろと煽ったり、食べている最中に他人の口に別の食べ物を詰め込もうとするのと同じだと思うのです。
迷惑を通り越して邪魔(言い方悪いwww)という事です。
子供相手だとわかりやすいと思います。
良かれと思って何でも手を貸そうとしたり、口を出すのは子供の成長の邪魔になります。
子供に矢継ぎ早に質問しても固まります。
大人でも同じですよね。
大人になれば、コミュニケ能力と会話術がある程度あるから子供ほど固まらないにしても、
内心は
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ですwww
私は今、ヨガを教えていますが、受けてくれている方や仲間に対して間違ったことをしないように注意しないといけないなと思ったりします。
会社員だと後輩への指導とかで注意したいところですね。
特に接客業とかだとお客様がいる関係上、あまり心に余裕を持って指導することができないのが現状です。
余裕がなくなると、一気に歯車が狂い出すから丁寧に丁寧にですな。
事故や怪我に繋がると思う時以外は、余計なことをしないように。
少し逸れましたが、人のことに構わなくていい。それだけのことです。
構わない事も、人のために尽くすという事。
私はそう思います。