対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)
先日、親友と会ったのですがおそらく3〜4年ぶりにゆっくりと会いました。
その友人とは20年ほどの付き合いになるのですが、出会いからとても不思議で大学時代に仲の良かった男友達の彼女で、どう言うわけだか彼女の方とめっちゃ仲良くなって男友達の方がびっくりしていましたwww
その数年後、二人は残念ながらお別れをしてしまいましたが私たちの友情は変わらず続いていたのです。
タイプが全く違うのですが波長が合うというのでしょうか。
会えば必ずといっていいほど泣くほど笑わせてもらってました。
頻繁に会っていた訳ではありませんでしたが、どんなに久しぶりでもいつも盛り上がり泣いてましたwww
そういう友達って貴重ですよね。
楽しいだけじゃ無く、お互いに刺激があって学びもあるような関係です。
私はこの彼女と一生忘れられない再会をしたことがありまして・・・
その当時、お互いに札幌と東京でしばらく会えていなかったのですが、私は実家に帰るために羽田空港で飛行機の搭乗待ちをしていました。
仕事帰りで空港に向かったのでお腹が空いていて何か買おうと売店を物色していた時の事・・・
突然、私の腕をつかんで名前を呼ぶ人がいました。
驚いて顔を上げると、親友である彼女だったのです。
一瞬、状況が理解出来ず固まっていたと思います。
すぐに我に返って、あまりにも驚いて声を上げてしまった事を鮮明に覚えています。
凄すぎませんか?!?!
空港内の同じ航空会社の同じ便で同じ売店で再開って!!!!
どんだけすごい縁だよって思いましたwww
なんだかこういう縁ってとても面白いですよね。
再会することが決まっていてお互い知らずに吸い寄せられた的な、まさに運命を感じました。
何か自分にとって何か意味のあるタイミングだったり、何かヒントなんだろうなと思いますが
当時はまだその感度が今よりももっともっと無いのでヒントを読み取ることが出来ず、ただただ「すごーい!!」と騒いでいたものですwww。
振り返るとあの時のヒントはなんだったんだろうと後悔となんとも言えぬモヤっと感が心に立ちこめますwww
まぁそんなこんなで今回、親友と話をしていると数年ぶりなのに、お互いに入り口は違えどスピマインドに移行しているところがあってこれまた不思議な縁を感じたのです。
お釈迦様の言葉で、「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)」という言葉があります。
対面したり、同席したりする人は、たとえ初対面であったとしても、実は過去世で最低でも500回関わりをもっている、という意味ということ。
「袖振り合うも多生の縁」ということわざも意味合いとしては似ていますが、少なくとも500回は縁があったというのはすごいです。
この言葉が私はとても好きで、だよね!!と思うし、初対面で500回なら私と親友は絶対恋人とか家族じゃねって勝手に思うほど縁を感じるのですwww
自分の魂が今世に至るまで何度もたくさんの魂と出会い、いろんな人から学んでいることや、今世で出会う人や出来事には必ず意味があり理由があるのですね。
だから縁がある人は大切にしたいです。
縁がない人は大切にしようとしても勝手にいなくなります。
そういった事を踏まえて話していて、流れてきた現状に対していかにして対処するかで違うという話をしていました。
親友はお母さんから小さい頃、こういわれていたそう。
”何かにつまづいたらうまく行きそうな方を選びなさい。その方がいい結果になるから”と。
大人になって、今まさにスピマインドになって理解できると話ししていました。
納得。
一見、うまく行きそうな方を選ぶって、面倒が嫌だからとか楽そうだからとも解釈されそうですがそうじゃない。
変に抗ったり、抵抗するのでは無く流れに乗るっていう意味なんですよね。
だから面倒そうだけど結果的に面倒を我慢した方が良さそうだ。って感じることって色々あると思いますが
こういう感覚があっているんですよね。
この、なんとなく感じる感性に従って人を大切にしたり、あらゆる選択をしていくことがこの世の上手な楽しみ方なんでしょうね。
感性磨いて行こう♫♫♫