日々のぼやき

こわーい勘違い

人とのつながりにおいて、大事に思っているとか大切にしてもらっているなと感じる基準はどんなものでしょうか。

私はここの基準みたいなものについてよく考えるのですが、

例えばわかりやすいところでいうと親が子を思う気持ちって無償の愛とか存在そのものが大切とかそう言った感じだと思います。

大事なペットのことも我が子のように想うとかありますよね。

でもこの気持ちの奥深くにある本質について考えるのです。

子供やペットに対しての愛情を支配感や管理感と履き違えていないだろうかと・・・

私には子供がいないので、我が子に対しての気持ちとかはわかりません。

でも親から感じるのは愛情という仮面を被った管理や支配欲に思える時がよくあります。

”親が思う理想の我が子”から外れた時にどういう顔を見せるか。ということです。

親に限らずですが、想像もつかないことが起きた時に人の本性が出るというのはよくあることです。

相手のことを本気で思っているのか、本気で思っているフリなのかはすぐにバレます。

この時に「自分の事を心配してくれているんだな」と感じれば信頼できると思うけれど、

「私を心配しているのではなく体裁が大事なんだな」とか「世間体が大事なんだな」とか結局自分の保身のことしか考えていない事を悟ってしまうと今後、一切の見方が変わってしまいます。

そして悲しい事ですが、その人が変わることはほぼ無いですwww

本人が身をもって悲しいことや本当に辛い事を体験すれば、もしかしたら気付くことはあるかもしれません。

でも体験しても気付くことがないのがこのタイプなので希望は少ないでしょう・・・www

 

「何が食べたい?」とか「どこに行きたい?」と聞かれて「なんでもいい・どこでもいい」と言う人は本当はなんでもよくない人ですwww

本当は自分の中で許容範囲があってその範囲内であればOKだけど外れたら途端にそれはダメ!!とか言わなくてもわかってよ!!と攻撃に回るタイプですwww

面倒ですねwww

でも当たってますよね。

だから関係性はある程度関係あるものの、近しい関係上で主張がないフリをしたり

協力的なフリをする相手には注意しないといけないなといつも思います。

一定の距離感を保つことが良好な関係を維持するコツだなと・・・。

愛情という言葉に流されないよう、きちんと見極める必要があるといつも感じています。

これは愛情を与えていると思っている側にも言えることだと思いますが、

愛情とは押し付けるものではないですよ。

 

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